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大学生協との出会いが私を変えた

「よりよきくらしと平和のために」―私の原点です。
最初からこの言葉を理解して生協運動に参加したわけではありませんが、よき先輩、よき同級生と、平和、ユニセフ、環境などのテーマで学び、活動したことは私の人生観を大きく変えました。

●大学1年生のとき、「ヒロシマ」そして「ナガサキ」へ
 被爆者の方の被爆体験を聞いたときの、ショックは今も忘れることができません。「原爆は人間として生きることも、死ぬことも許されなかった」―この言葉は心に深く刻まれています。
 以来、学生時代は毎年「ヒロシマ」「ナガサキ」を訪れました。
被爆者の山口仙二さんと対談をさせていただき、その内容がパンフレットの中におさめられましたが、そのパンフレットは私の宝物です。被爆者の方が命あるかぎり、と核兵器廃絶の運動に勇気をふりしぼって参加されています。その思いにこたえ、自分自身の未来のためにも、これから社会に生まれ、巣立っていく子どもたちのためにも、核兵器の即時廃絶を―学生時代から変わらぬ私の思いです。

●大学2年、消費税導入反対の運動
 1987年から88年にかけて、消費税反対の運動で頑張りました。「高齢化社会のため」との口実で強行されたのは、忘れもしない1988年12月24日、クリスマスイブの日。徹夜国会での日本共産党、当時の社会党の徹底抗戦。自民党、公明党、当時の民社党による強行でした。25日の「しんぶん赤旗」は、「この暴挙 国民は忘れない」との大見出し。
 「小さく生んで大きく育てる」と自民党の政治家が述べましたが、いまそのシナリオどうりになろうとしていることに怒りを感じます。
 大学の中で、大学の外で、署名をあつめ、学生の過半数を超える数にあたる6000筆の署名をみんなで集めました。

●90年冬、全国大学生活協同組合の役員に
 全国大学生活協同組合連合会全国理事・関西地方連合会学生委員長に。委員長という役は苦手な私でしたが、推されて頑張ることになり、1年間の京都での生活がはじまりました。
 関西地方連合会は、北陸・関西・中国四国地方という広大なエリアをカバーしています。多くの大学生協に足を運び、くらしと平和をまもろうと頑張っている生協職員の方々、学生との出会いは、私を人間的にも大きくしてくれました。


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